いざ観音峰へ
二月の最終週、気温が春並みに高い。熊が冬眠から目覚めてしまうのではないかと思い、急いで観音峰へ昇ろうと思った。何故なら目指す観音峰では去年、熊の目撃情報があったからだ。去年に限らず、観音峰が属する大峰山系はツキノワグマの生息地となっている。
曇り空の中、午前10時に観音峰登山口に到着。ナビでは観音峰登山口休憩所トイレとなっていた。
駐車場は広く、二十台以上は止められそうだ。先客はほとんど同時に到着した一台だけ。人気の山だと聞いていたが、天気が悪いから人が少ないのだろうか。人が多いならば熊は出てこないだろうと期待していたが、当てが外れた。

休憩小屋の中には南北朝時代の南朝の歴史が描かれている。吉野は南朝側の拠点となっていたようで、南朝寄りの視点となっていた。先客のグループは小屋でトイレと情報収集をしてから山に入るようだ。先に行ってもらってクマよけになってもらえばありがたいと思っていたが、長くかかりそうなので先に行くことにした。
登山口は駐車場のすぐそばにある揺れる橋を渡ることになる。

揺れる橋のせいで橋を降りた後でも地面が揺れているように感じる。
山に入ると熊の出没情報とマムシに注意の看板と張り紙が早速目に入る。駐車場の近くにあった温度計では5℃とあったため、熊もマムシもまだ寝ているはずだと言い聞かせて頂上を目指す。
何が起きてもすぐに気付けるように歩いていると、何も音が聞こえないことに気付いた。後ろからグループの話声が聞こえてこない。振り返ると姿も見えない。あのグループは山に登らずに、麓をぐるりと歩く渓谷巡りへと向かったようだ。クマよけに期待できなくなった。
周りを見渡す。

杉が多く見通しは効く。何か動くものがあればすぐに気付けるだろう。前日の雨のせいで少しぬかるむ道を歩いていく。
登り始めてすぐに名物なのだろうか、観音の水となずけられたポイントに着く。

受け皿となっている石とその周りが赤い。パイプの錆か、湧き水とはこういものなのかは分からないが飲む気にはならなかった。子供の頃は気にせずに飲めていたが大人になって知識がつくと怖い。
観音の水を越えると、第一展望台に着く。ここまでで、駐車場から30分くらいだ。しかし、よく伸びた木のせいで見通しは悪い。

この先には絶景ポイントがあるはずだと信じて先を行く。
黙々と歩いていくと、霧の中へ入って行く。異界の中へ入って行くようだ。修験道の開祖・役小角ははこういった霧の中で蔵王権現を顕現したのだろうか?
霧の中へ

杉が多く、杉の葉が多く落ちているが道にはあまり落ちていない。人が多く歩くから道からなくなるのだろう。道の端にこんもりとある杉の葉の中に芽が出ている杉の種?を見つけた。

松ぼっくりとは違って笠の部分からではなく付け根の方から芽が出ている。それともこれから笠が開いて目が出てくるのだろうか?庭がないため持ち帰って観察することはできない。後ろ髪をひかれながら先へ行く。

開けたところから外を見ると何も見えないぐらい霧が濃ゆくなっていた。ずいぶんと高いところまで来たような気がするが、観音峰の標高は1348メートルしかない。ここはまだ1000メートルもないだろう。先はまだ長い。
石の庭

「石の庭」という名称があるわけではないが、石が多くなってきた。苔の生えていないところを見ると、白い石が多い。石英かと思ったが地面には石から剥がれたと見える白い粉が散らばっている。もろそうだ。ならば、石膏か?吉野には石膏ボードで有名な吉野石膏があるからなぁと思い一人納得した。
しかし、家に帰って調べてみたら吉野石膏の創業は山形県の吉野鉱山での石膏原石の採掘に始まるとあった。謎が残ってしまった。

さすが吉野!石膏が多いなぁと、勘違いしたまま登っていくと鳥居があった。近くには石碑があり皇族の名が刻まれていた。すぐ横にある東屋には菊の御紋がある。この東屋までで登り始めて1時間ほどたっている。


御下賜金とあるから、そのお金でこの東屋が建ったのだろうか?感謝しながら東屋でサンドイッチを食べていると後ろから木の枝を踏む音が聞こえた!
叫び声を上げながら後ろを見ると、驚かして悪いねぇといった顔をしたおじさんがいた。もう一人後ろから来たおじさんが「お前、熊と間違われたんとちゃうか」と笑いながら相方に言う。サンドイッチを急いで呑み込んで「ホントに熊かと思いましたよ」と返した。
二人のおじさんは笑いながら別のルートへ行った。おじさんたちが本物の熊に出会わないように祈りながら東屋の横にある道を登る。
観音平で見たもの
先程は冗談で済んだが頂上近くで熊の目撃情報がある。嫌でも熊のことが頭から離れない。熊に出会いませんようにと祈りながら歩くと、空が近くに見えだした。頂上に近づいているようだ。
気持ち速度を上げて進むと背の高い枯れた雑草が見えてきた。イネ科だろうか穂のようなものがある。

草が風で揺れる度に熊が飛び出してくるのではないかと怯える。草と霧のせいで見通しが悪いことがさらに嫌な想像を膨らませていく。
あと少しのはずだと気持ちを奮い立たせて歩くと、石碑がそびえたっていた。

地図によるとここは観音平というらしい。晴れていたら絶景だったかもしれないが霧のせいで何も見えない。
石碑の下には地図があり、頂上は石碑の後ろの道を歩いた先にあるみたいだ。
石碑を回り込んで歩いていると何者かが通ったように草が倒れている。まるでけもの道だ。風ではこんなふうに倒れないよなぁと思っていると、倒れた草の上にフンを見つけた。
フンの中に木の実か種らしきものがあったから人のものではないことは間違いない。コロコロとしたものでもなかったから鹿でもないだろう。となると、熊か猪か。どちらのフンか調べる余裕はない。どっちであっても怖い。あと少しで頂上だ。このまま進むか、引き返すか。迷った時間は一瞬だった。
回れ右をして観音平をあとにした。こっちはただの古代史好きだ。熊と猪相手に敵うわけがない。熊に導かれた神武天皇や、猪を射殺した雄略天皇じゃないんだ。歴史に名を遺す人たちはすごいエピソードを持っているなぁ。
足早に山を下りていくと風が吹き、天気も回復してきたおかげで霧が少しずつ晴れてきた。正体不明のフンから距離を取ったことで、心に余裕が生まれて山の雄大さを感じることができた。

どこを見ても山、山、山だった。南朝方を追って吉野の地を進んだ北朝方は苦労しただろう。
謎の生物のフンから逃れて駐車場に戻ってきたのは12時45分。体力にはまだ余裕がある。熊への恐怖は消えていないが、近くの渓谷・みたらい渓谷を歩くことにした。
渓谷歩き
道のすぐ横で川が流れてゴウゴウと音をたてている。目指すのは駐車場から1時間ほど歩いた先にあるみたらいの滝だ。
このころには霧は完全に晴れ、雲の隙間から太陽が顔を出すこともあった。

観音峰ではあまり見ることのできなかった絶景を楽しむことができた。ハイキングコースとなっているだけあり、迷わずにみたらいの滝までつくことができた。

辿り着いた所にもクマ出没注意の看板が立っていた。吉野を行くものは熊を避けることはできないのだろう。
熊はいる。しかし、見渡す限りの山だ。この山に熊がいたって出会う確率は低い。はずだ。ビビってばかりじゃもったいない。
帰りは景色を楽しみながら歩くことにした。
総距離7.4㎞、約5時間のハイキングは感情をスーパーボールのように跳ねさせたものになった。
いつか誰かと一緒に頂上を目指すと心に決めて家路についた。