南北朝時代から始まった宇陀松山城

宇陀巡り二日目は大宇陀へ行くことにした。
いつものように現地の情報を得るために道の駅へ向かう。
道の駅・宇陀路大宇陀にてパンフレットをいくつか入手。推古天皇が薬猟(クスリガリ)を行った地であることは知っていたが他にも多くの歴史があるようだ。
道の駅の外には無料の足湯があり、多くの人でにぎわっていた。

まずは、さらなる情報を求めて道の駅からほど近い「まちかどラボ」へ向かった。
ここは宇陀松山城と松山地区の観光拠点らしく、城や地区についての情報が満載だった。薬草に関する展示も豊富だった。

松山地区は城下町としてにぎわい、城がなくなってからも城下町から商家町へと発展を続けて寂れることはなかったようだ。地区の町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定されて江戸時代からの建物が多く残っていた。

松山城へ行くには車道を通って行くルートと春日神社の境内からの山道を行くルートがあり、せっかくなので山道のルートを行くことにした。

春日神社の創建は不明だそうだが中世には建てられたはずとパンフレットにはある。
狛犬の姿勢が良い。

城への道は神社の参道脇にあった。歩いて15分ほどと書いてある。

山道はのぼりが急だったが15分で終わると事前に知っているので気が楽だった。
登り始めてすぐに平坦なところへ出る。ここで車道からのルートと合流するようだ。10台は止められそうな駐車場が見える。

最後の坂道を上ると天守閣があった場所へと着く。それと分かるようなものはほとんど残されていなかった。

城跡を下りて、薬猟の地へと向かう。阿騎野・人麻呂公園へと歩く。
通り道には元伊勢の一つ阿紀神社がある。このあたりには、壬申の乱にまつわるスポットも残されていた。壬申の乱にまつわるスポットも時間を取って巡りたいものだ。

神社を出るとまずは、かぎろひの丘万葉公園に着いた。ここには薬猟の様子を描いた絵が展示されている。
阿騎野・人麻呂公園には柿本人麻呂の像が建てられてた。
人麻呂は持統6年・軽皇子に随行して阿騎野を訪れた際、
「ひむがしの野にかぎろひのたつ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」
と詠っている。
これは日の出前の光が差し始めて、振り返ると月が傾いていた、という意味らしい。
歌の解釈が色々あるようだが、日の出で軽皇子の誕生を祝い、傾く月で亡くなった草壁皇子を偲んだ歌とするのが一般的のようだ。歌は難しい。

道の駅の方へと戻り、道の駅のすぐ近くにある大願寺へと行く。
創建は古く、推古時代、聖徳太子が蘇我馬子に命じて建立させたという。宇陀松山藩歴代藩主だった織田家の四代から厚く信仰されたようだ。ちなみに宇陀松山藩初代藩主は織田信長の次男・織田信雄だ。
毘沙門堂の前には虎がいた。

「おちゃめ庚申」は、絶対に見て欲しい。ゆるキャラが江戸時代にもいたことがわかるから。

宇陀は天照大御神を祀る候補地になったり、神武天皇が手に入れようとしたり、推古天皇が薬を求めたりと、皇族に縁がある地のようだ。皇族だけでなく他にも多くの偉人が宇陀を駆けたと、パンフレットにはある。
宇陀には人を引き寄せる何かがあるようだ。偉人ではないが自分もその一人だ。
宇陀の魅力をここで一句。と歌を詠むことができればかっこいいのだが、そんなに上手には締めることはできなかった。

投稿者

よし

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