
熱湯に手を入れろ
盟神探湯(クカタチ・クガタチ)は、真偽を定かにするために神に宣誓をしてから熱湯に手を入れると、正しきものは傷を負わず、嘘をついたものは火傷を負うというものだ。熱湯に手を入れる前に神に宣誓をしていることから誓約(ウケイ)の一つとされている。
神代にアマテラスとスサノオが行った誓約は、スサノオの心にやましいところがないことを証明するために行われ、二柱の神は互いの持ち物を交換して、その道具から生まれた子の性別で真偽を明らかにした。
神々が行った誓約と比べて盟神探湯はずいぶん荒っぽいものに感じるが、どういった場面で行われていたのか調べてみた。
兄弟喧嘩から始まる盟神探湯の歴史
盟神探湯は日本書紀に三例、古事記に一例ある。
①応神天皇紀
武内宿祢(タケノウチノスクネ)が弟の甘美内宿祢(ウマシウチノスクネ)に天下を狙っていると讒言をされた。兄は天皇に弁解したが、弟も譲らなかった。天皇は真偽を定かにするために磯城川のほとりで盟神探湯を兄弟に行わせた。兄は何ともなかったが弟の手はただれたことで、兄の正しさが証明された。
➁允恭天皇紀(古事記にもある)
氏(ウジ)・姓(カバネ)を偽るものが多くなったから、甘橿丘(アマカシノオカ)の辞禍戸崎(コトノマガエノサキ・言葉の偽りを明らかにし正す場所)(奈良県明日香村の甘樫坐神社に由来がある)に盟神探湯の釜を置いて人々に手を入れさせた。正しきものは何もおこらず、嘘つきの手はただれた。他の嘘つきは手がただれているのを見て恐れて手を入れなかったから、手を入れないものも嘘つきと分かった。
③継体天皇紀
朝鮮半島の南部・任那の地に派遣されていた近江毛野臣(オウミノケナノオミ)は政務を怠っていた。日本人と任那人との間に生まれた子供の帰属問題について裁定能力がなく、ほかの問題についても盟神探湯を好んで用いて解決させることから、現地の人から無能だと言われている。
以上の三例から盟神探湯は、自らの潔癖を証明するものからお手軽な判別法に変わり、人々に受け入れられなくなっていったことが分かる。
消えた盟神探湯
煮えたぎる熱湯を前にして人々は何を恐れたのだろうか。おそらくは神の罰より、盟神探湯を行わせようとする権力者を恐れたのではないか。火傷の有無は神の加護で変わるかもしれないが、判定するのは権力者なのだから。
古代への憧憬は尽きないが過酷な裁判はごめんしたい。