

飛鳥は石の都だ
奈良県明日香村には石造物が多すぎる。亀石、二面石、猿石などなど。名前のついていない道端のものまで数えだすときりがない。その無数にある石の群れの中でもひときわ謎だとされているのが酒船石だ。万葉文化館の横にある道を軽くのぼると横たわっている。

何のために作られたものか?
酒船石の近くに説明書きがあり、すぐ下にある亀形石造物と丘にあるというところから水が関わる祭祀に用いられていたものだろうと書いてある。しかし、具体的なことは何も書いていない。
不思議な形状は人々に様々なインスピレーションを呼び起こし、手塚治虫の漫画「三つ目がとおる」では様々な物を混ぜて麻薬を作っていた。この薬を飲めば心を失い言われたままに動く奴隷になるそうだ。古代飛鳥の支配者は薬を人々に飲ませて数々の古墳や大型の施設、石造物などを作らせていたと写楽保介は言っていた。
謎は道教で解ける
漫画の神様の後に持論を展開するのは恥ずかしいが、分からないことが多いからこそ素人でも好き放題言える古代史の懐の大きさに甘えたいと思う。
先日、福永光司の「道教と古代日本」を読んだ。中国の土着信仰の道教が日本の祭祀や建物、考え方に影響を与えたというものだ。特に道教を理解し広めたのは天武天皇だという。
天武天皇は、壬申の乱で道教で占いに使う道具「式」で勝敗を占い、天皇となってからは占星台を作っている。
道教を深く理解し、実践したと言えよう。
酒船石を作ったのは斉明天皇だ
では、酒船石を作ったのは天武天皇かというと違う。作ったのは天武天皇の母である斉明天皇だ。
斉明天皇は日本書紀にあるように地形を変えるほどの土木工事を行い民からは「狂心渠(たぶれこころのみぞ・たわむれ心の溝工事)」と言われた。酒船石があるところから下の方に積み上げられた石垣を見ることができる。日本書紀の記述と現地の証拠を見ると石垣と酒船石はセットで作られたものだろうと分かる
斉明天皇は悲劇の女帝だ
斉明天皇は日本史上初の重祚した天皇だ。先の名は皇極天皇という。
皇極天皇の時代に起きた最大の事件と言えば「乙巳の変(645年)」だ。当時、最高権力者として我が物顔でふるまっていた蘇我入鹿を中大兄皇子(皇極天皇の息子)が天皇の目の前で処刑した。中大兄皇子は政権を皇室に取り戻すために行った義挙だと言うが、母である皇極天皇の関心・愛情が蘇我入鹿へ注がれていたことに嫉妬したためだという説もある。
皇極天皇と蘇我入鹿の関係は定かではないがこの事件の後、皇極天皇は退位し大化の改新が始まった。
寵臣を失い、表舞台からも遠ざけられた皇極天皇は何を思ったのだろうか。
不老不死の仙薬
政局はうつろい天皇として戻ってきた斉明天皇は世の無常を嘆き、救いを道教に求めたのではないだろうか。道教には不老不死の仙薬がある・作ることができるとある。秦の始皇帝が道師徐福に不老不死の仙薬を探させたのとは違い、斉明天皇は作らせた。それは徐福の目的地である蓬莱島が日本だと知っていたからだ。薬があるのなら材料があるはずと考えるのは自然なことだろう。
斉明天皇は坂船石で鉱石・植物・動物、様々な物質を混ぜて仙薬を作らせたが、不老不死の仙薬はできなかった。それならばと不変の石に自らの思いを刻み込んだのではないか。それが今も飛鳥の地に佇んでいる。
永遠を求めた最後
斉明天皇は飛鳥を遠く離れた福岡県の朝倉でなくなった。葬儀の際は山の向こうから鬼がのぞいていたと日本書紀にある。この鬼が蘇我入鹿だった、と正史には載っていないが地元の伝承に残っている。鬼とは死者のことだ。
苦難に満ちた人生の終わりに最も信頼していた人が迎えに来てくれた。と読み解こう。
空想を多分に含んだストーリーならハッピーエンドがいい。
坂船石の謎に触れてみたが飛鳥にはまだまだ面白い謎が転がっている。空想・幻想の旅は終わらない。