
奈良県明日香村の雷丘
雷丘は明日香村を縦断する飛鳥川の近くにある丘だ。大和三山のようにきれいな形をしているわけでもなく、上って見ても上には何もない。そんな何の変哲もない丘だが、面白い由来がこの丘にはある。


蚕を集めずに若子を集めた
雄略天皇は養蚕を勧めようとスガルに蚕を集めさせたが、スガルは勘違いして子を集めた。天皇は大笑いして許し、集めた子をスガルに育てさせ、小子部連の姓を賜った。
三輪の神を捕らえる
雄略天皇「三輪の神が見たい。お前は力が強いから捕まえてこい」
スガル「やってみます」
三輪山で大蛇を捕まえたスガルは天皇のもとへもっていったが、天皇は斎戒をせずに大蛇の前に出た。大蛇は雷のような音をたてて、目を輝かせた。すると、天皇は恐れ入って、目を覆って宮の中に隠れた。
天皇は大蛇を岳に放った。岳に「雷」の名を賜った。
この話から読み取れることは?
日本の正史である日本書紀、雄略天皇の御代の話だが初めて読んだとき話の意味が全く分からなかった。今でも分かっていない。わざわざ載せるほどの意味があったのか?あるとしたらどういったことが考えられるのか。答えは出ていないが、思いつく限りのことを書いて吐き出してみようと思う。いつか「これだ!」という答えを見つけて見せる。
現状考えられること
・雄略天皇は暴君と英雄王の二面性がある人だが、葛城の一言主に対する態度から考えて神に対しては敬った態度をとっている。しかし、三輪の神に対しては捕まえて来いと言い、神を前にしても斎戒(身を清めること)をしない。⇒三輪の神を信奉する一族を支配下に置いたということか?
・天皇が恐れて見ることもできなかった神を捕まえたスガルは三輪の神を祀る祭主か?
・三輪の神といえば大物主=蛇だが、この神は雄略天皇の先祖、崇神天皇の御代に祟り神として扱われている。祟りは大物主の子、大田田根子が神を祀ることで治まった。⇒雄略天皇は荒れていた世を治すためにこれを再現したかったのか?
雷の丘は雷神=大物主を祀っている
祟り神である大物主を恐れた雄略天皇は、神の力を削ぐことにした。削ぐ=分ける。神とされている三輪の蛇をほかの場所に移すことで神の勢力の弱体化につながるとは考えられないだろうか。
祟り神も一族の者には手を出さないだろうということで、蛇を捕まえる役目を神の末裔であるスガルに命じた。斎戒をしなかったのは神そのものならまだしも、神の一部に対して行うのは天照大御神の血をひく者としてのプライドが許さなかった。雄略天皇の二面性をよく表していると思う。
岳に蛇を放し、スガルに祀らせることで大和最強の祟り神を鎮めて雄略天皇は国内外の平定に動き出した。
雄略天皇はおもしろい!
スガルのエピソードは雄略紀からみたらわずかな分量だがここまで妄想を広げることができる。他にも一言主や埴輪馬、古事記には赤猪子、万葉集の初めの歌として採用されていたり、古墳から出土した鉄剣に名を刻まれていたり、雄略天皇についての話は尽きることがない。荒々しい一面をお持ちの方だから、気に障ることがないようにまだまだ深堀をしていきたい英雄だ。