日本書紀の神武四年春二月二十三日、神武天皇は天下を平定できたのは皇祖の霊のおかげだとして、鳥見山に高皇産霊尊を祀ったとある。
この鳥見山がどこにあるのかというのは諸説あるようだが、候補地の一つが奈良県桜井市にある鳥見山(トミヤマ)だ。

鳥見山に行くには等彌神社を通っていくのがいい。神社の境内に登山口があるからだ。
駐車場が第一と第二があるが、第一に止められるのは三台ほどだろう。第二の方には二十台ほど止められるかもしれないが駐車場まで行く道が少し狭いから、短い距離だが気を付ける必要がある。

等彌神社の歴史は古く、式内神社だ。境内も古社らしく静謐な空気に満たされている。
鳥居をくぐってすぐにある手水所にある亀は中国の霊獣・贔屓というらしい。見た目は普通の亀だが角がある。手足も関節があるのか降り曲がっている。普通の亀ではないということか。

手を洗って拝殿でお参りをしてから山に登ろう。

登山口は拝殿のすぐそばにある。場所が分からないということはないだろう。

案内板にはここから一キロほどとあった。近所の人のハイキングコースになっているのか道は歩きやすくなっていた。

熊の出るような山ではなく、鳥のさえずりが聞こえる気持ちのいい山だった。険しい坂もなく足取り軽く登っていくとすぐに頂上に着いた。

石碑の文字は「霊畤」とある。祭りの庭を意味し、大嘗祭を行う場所らしい。大嘗祭は天皇の代替わりのときに一度だけ行われる儀式だが、ここが始まりの地なのか?

広場には石碑とベンチがあるだけで他には何もない。見晴らしもそんなに良くない。登山口から一時間もかかってないとはいえ不完全燃焼感がある。だから、登ったのとは違う道で降りて見ることにした。
石碑から道を少し戻ると別ルートへ行く道がある。この道は普段人が通っていないのか道に大量の落ち葉があるため滑って歩きにくい。

神社からの道と違って案内板や標識もなく、木に結び付けられたリボンを目印にして歩いていく。とはいえ分岐点はない一本道だった。

唯一と言える分岐点には案内板があるので迷うことはないだろう。道なりに下りていくと集落の中に出た。ここから外鎌山に向かうルートがあるそうだが、今日は集落を探検することにした。
適当に歩き出すとすぐに巨木が目に入ってきた。何か謂れがあるだろうと巨木に向かって歩いていくと標識があった。

すぐそこと書いてあるように標識から神社が見える。

忍坂神社は延喜式内神社で地域の人々から大切に祀られてきたようだ。境内にある楠の木は二代目で、初代は京都の金閣寺を建立する時、天井板として利用されたという言い伝えが残っている。

神社には拝殿しかなく、本殿がない。大神神社のように古いタイプの神社なのか、何か理由があって無くなったのかは分からないが拝殿の裏には石だけがあった。御神体だろうか?

神社を出て標識に書いてあった興善寺に行こうと思って歩き出したが、道を間違えたらしく辿り着くことはできなかった。大きな通りに出てしまい、引き返すのは面倒だからこのまま歩いていくと宗像神社を見つけた。なぜ、海のない奈良に海の神が祀られているのだろうと疑問を抱いて、神社に寄ることにした。

この宗像神社も延喜式内神社らしい。立派な境内に縁起書きがあった。
それによると、神社をたてたのは天武天皇の息子、高市皇子だった。高市皇子の母は福岡の豪族・宗像徳善の娘・尼子姫で母方の氏神を祀ったという。

創建の理由は分かったが、この地を選んだ理由は分からなかった。宗像の神は三女神で海に関わる神様だ。どうせ祀るのならば海の近くがいいような気がするが。何か隠されたものを感じて考えてみたが、うまい考えは浮かばなかった。かっこいい狛犬に見送られて、宿題を家に持ち帰ることになった。

宗像神社を出て三十分ほどで等彌神社へと着くことができた。
総距離5.6㎞の程よい山と町歩きとなった。目当ては鳥見山だったが、宗像神社を見つけられたのは大きな収穫だった。宗像神社の近くの地名に外山(トビ)というものがあり、これはトミノナガスネヒコと関係がある物かもしれない。考えはまだまとめられていないが、桜井市には謎が多い。
大神神社にヒミコの墓だという箸墓古墳や、纏向遺跡等々。巡ってみたいところばかりだ。

投稿者

よし

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