天岩戸の戸を見に行く
近くに日本神話にまつわるスポットはないかと調べていると、天岩戸の扉があるという天乃石立神社(アマノイシタテ)という神社を見つけた。
天岩戸を開くときにアメノタヂカラオが力を込めすぎたせいで岩戸を投げ飛ばし、その岩戸がこの地に跳んできたと言う伝承があるようだ。
神社の奥には鬼滅の刃の聖地となった一刀石があるようで、石に縁がある神社らしい。
神社は徳川将軍家の剣術指南となった柳生家が治めていた柳生藩にある。奈良県奈良市柳生町
一刀石は柳生新陰流の始祖・柳生宗厳が天狗を相手に剣術修行をしていた際、天狗と思って斬ったら石だったという話が伝わっているようだ。
静かな柳生の里
三月上旬の柳生の里は山に囲まれているせいでとても寒かった。しかし、冷たい空気を吸うと剣豪と同じような凛とした気持ちになって悪くはない。
車を観光駐車場に止めて、まずは八坂神社に向かう。
八坂神社の拝殿は天乃石立神社から移築したと看板にある。奈良の神社らしく石灯篭には鹿が多く彫られていた。


近くの丘には武道の守り神である摩利支天を描いた石のレリーフがある。


次は隻眼の剣豪・柳生十兵衛が幕府の密命で西国大名の動静を調べるため旅に出る際に、先祖の墓を祀った時に植えたと伝わる十兵衛杉を見に行った。

樹齢350年を超えていたようだが落雷のせいで枯れている。
次は阿対(アタヤ)の石仏を見に行く。
柳生の里はほとんどが平坦な道で歩きやすい。が、石仏への道は少しだけ舗装されていないところを歩く必要がある。本当に少しだけだが。

十兵衛杉から1㎞ほど歩くと石に彫られた阿弥陀如来の姿を見ることができた。阿弥陀如来は流行よけの願いを聞いてくれて、隣の地蔵菩薩は豆腐を供えると子宝に恵まれると言われていたようだ。
石仏は右側に彫られた銘から室町時代の作らしい。
柳生の里には他にいくつも石仏があった。

歩いてきた道を引き返して最後にとっておいた天乃石立神社へ向かった。
天乃石立神社は観光駐車場のすぐ隣にある石段を登ればすぐで、神社だけに興味がある人はすぐに行くことができる。

神社への道は序盤の石段が急で少し息が上がるが、その後は緩やかな上り坂だった。
木々に囲まれた道では巨石がごろごろとある。巨石がありふれているのに祀られるようになった石とはどれだけのものだろうかと期待が高まる。


10分も歩いただろうか鳥居が見えてきた。
古代の人だけでなく柳生家も神社への信仰は厚かったようで、柳生宗矩は参道を修理して並木を植えたようだ。
参道を進むとそれっぽい石が見えてきが、戸には見えない。しかし、横の看板にはこれが伝説の天岩戸の戸だと書いてある。

これのどこが戸なのだろうかと、首をかしげながら後ろにまわると石の全貌が見えた。

鋭い刃で斬られたかのように切り立つ姿はまさに戸だった。
参道を歩いて目に入る姿は後ろだったのだ。よくある神社と違って拝殿も参道の方を向いている(石の戸の方を向いている)。石を正しく拝むためにこの配置になったのだろう。

確かに神話と紐付けることができる姿だった。
天乃石立神社は延喜式内神社のため、逸話は古くから伝わっているのだろう。しかし、日本神話がまとめられる前の古代人たちは、この石に別の神話を残していたのではないかという考えも浮かんできた。答えは次の機会にまとめてみたい。
石の造形は見事だったが、神社の逸話には少しもやもやとしたものを感じながら奥の一刀石へと歩き出した。


50mほど先に一刀石があった。石の前は舞台のようになっていて、写真撮影用におもちゃの剣がいくつか置かれている。剣豪の里はサービス精神にあふれていた。
一刀石を見下ろす場所には天狗がいた。新たに訪れる剣士を指導するつもりだろうか?

柳生の里を歩いて思ったことは、巨石が多いということだった。巨石のように泰然とした心と巌のような体の強さを得ることができるようにと剣豪たちは鍛えられたのだろう。
心身に不安がある人は石仏に祈りを捧げた後に、巨石たちから力を貰うといいかもしれない。